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花園坊の思い出&数奇な出会い

私が住む打浦橋から北に伸びる道は瑞金ニ路と言います。
フランス租界時代はRoute Pere Robertというフランス語名がついていました。
また当時は金神父路という名も付いていました。
その道沿いに花園坊と言う小区があります。
1930年代頃に出来たんでしょう、上海の独特の石庫門スタイルの住空間です。
当時は文人なども住むハイクラスな住空間だったんでしょう。
この花園坊は今でも健在でして、現在は一般老百姓(庶民)が住んでるのかと思います。

私は上海の街の散歩ブログを公開しています。
その中の「上海・10月の朝の復興公園」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10038670/
というのに、たまたま花園坊の写真がアップされていました。
それが下の写真です。
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その写真を見つけた富山に住むある男性(Sさん)から、メールが来ました。
[花園坊]で検索かけたら、私のブログにぶち当たったと言うことです。

彼は、お母様が中国人で、昔、花園坊に住んでいたということなんです。
彼は中国が初めてです。別件の用事で上海に来るに当たって、
その花園坊を訪れようとしていたらしいです。

以下は彼の話です。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私の母親は花園坊に両親兄弟と16歳まで暮らしてました。
そして、その後は、親元を離れ、香港のミッションスクールで寄宿生活。
あるとき、シンガポールの華僑に嫁いだ姉のもとに、
上海の父親から託された手紙を携えてシンガポールに・・・・。
しかし、日本軍が攻め入ってきて帰れなくなったそうです。
その日本軍の中に、私の父がいました。
父は陸軍の応召将校でして、戦争の最中に母に出会い、
お互い結婚を意識し始めた。
しかし状況が状況でしたので、シンガポールの聖アンドリュース教会で
2冊の中国語の聖書を買い求め、それぞれの聖書に
「いつの日か、この二冊の聖書が
   一つの所に並べておかれる日の来るように」
と書き、共に祈り、結婚を誓い合って別れました。

その後、父は、1943年に召集解除となり、一旦日本に帰国したんですが、
数奇な導きによって父は、商社マンとして終戦前に
当時昭南市と呼ばれていたシンガポールに戻り、
そして私の母様に再会し、終戦の年の3月に結婚しました。

今、両親が住む東京の実家にはこの二つの中国語の
聖書が並んでおかれています。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

いやあ、もう、小説とか映画になるような話です。

ご両親は88年に、その家を探しに上海に来たそうです。
もう、壊されてなくなってるだろうと、思っていたらしいですが、
未だに残っていて、感激したとか。

その時の白黒のぼやけた写真のコピーを携えて上海入りしたSさんに
お会いしたのが、1月10日です。

彼の本来の用事にも付き合い、瑞金ニ路に向かいました。
下の写真は7日の朝に撮ったものです。
花園坊手前あたりの瑞金ニ路です。
左側には瑞金賓館があり、右には瑞金医院があります。
それぞれ昔は、モリス邸、セント・マリー病院です。
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瑞金ニ路からの花園坊への入り口です。
やはり7日の朝に撮りました。
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花園坊の家は、同じタイプのものが並び、
白黒のぼやけた写真と同じものを見つけるのに相当苦労しました。
そこに住む人たち数人が寄ってきまして、
あっちだこっちだとアドバイスを受けましたが、なかなか行き当たらない。
やっと見つけたのが下の写真です。
一番左が、彼のお母様が住んでた家です。3階分で一家族が住んでいたんでしょう。
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いろいろ話を伺いましたら、
Sさんは私との繋がりも幾らかあることが分かりました。
まずは、大学が同じだと言うこと。
私が横浜にいる頃、横浜関内のYMCAで英検2級の講座を受けていたんですが、
その時の講師を良くご存知だと言うことです。
彼はその頃、横浜YMCAの語学講座関係の統括者だったそうです。
彼のご両親の出会いも数奇なものですが、私と彼の間にも、こんな繋がりがあるとは・・。

そのあと、瑞金賓館、復興公園、新天地などを案内して、
上海のYMCA本部がある青年館賓館まで送りました。
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# by inouehir | 2007-01-10 16:13 | 上海散歩・フランス租界

海寧皮革城&斉斉哈尓行き列車

一昨日、浙江省の海寧市へ行ってきました。
目的は、最近出来た中国皮革城の見学です。
いや、そこの情報を日本で知って、
どうしてもそこへ行きたいという女性に付き添っていったのです。
彼女、名古屋放送の女性技術スタッフでして、
もう、上海で3度お会いしています。
去年の1月には、彼女の仲間達と文廟の孔乙己酒家で
大宴会をしたこともあります。

さて海寧市は、銭唐江の逆流で有名な観光地です。
その逆流は9月のある時期でないと見られないものであって、
観光地としては、通年客が呼べる訳ではありません。
ある時期だけパッと花の咲く・・・そんなところです。
ですが、昔から皮革関係の工場やら業者が集まってるところのようで、
その部分で人を集めるところはあったようです。

私が逆流を見に行ったのは3年前だったか・・
その時は、海寧駅周辺には、革製品を扱います商店がたくさんありました。
大きなビル数棟に、その商店がびっしり詰まっていました。
今回行ってみましたら、もう寂れた感じでしたね。
駅から4kmほど離れたところに、
ドデカイ中国皮革城なるものを造ってしまい、
そこに、皆さん本拠を移してしまったんでしょうね。

行きましたら、もう、スゴイ!!
ドデカイなんてもんじゃありません。
4階まであるんですが、
1階の通路を向こうまで見渡しても端が見えないくらいです。
ですから、店がありすぎで、もう、私なんかは見る気がしませんでした。
彼女は、ああ感激って感じでしたね。
私は1時間もいないで、駅へ引き返して、一杯やって、
マチナカをうろつきました。
彼女も、3時間くらい回り歩いてたら飽きてしまったと言って、
駅に戻ってきました。

帰りの列車は杭州発の斉斉哈尓行きの1342次列車です。
硬座の無座です。
私は硬座の列車なんて久しぶりです。彼女は勿論初めて。
改札が始まる頃の、異常な熱気に・・・
井上さん、すごいですね、なんか、怖そうですね、
みんな脇から前へ行ってしまってますよ、
私達も前へ割り込みましょうよ・・・・・・
いや、慌てるな・・・なんて言いながら、自分も慌てているんですが・・。
さて改札始まりました、地下通路を我先に皆さん突っ走ります。
大きなズタ袋を肩に担いだ人も、ドン臭いスーツケースを引いてる人も・・
ホームに出ましたら、もう、どこに立てばいいのか。
つまり、出入り口箇所が決まっていないと言うか、表示されてないというか・・・
つまり、我先に行った意味がないのです。

列車がホームに入ってきました。
さて出入り口が、どこになるのか・・・・
あっ、あのあたりだなとその位置が
決まりそうなソロソロ列車止まる頃になりますと、
そこに皆さんが殺到。
私は、この辺の争いにめっぽう強いので、
スグ、乗り込むのにいい位置を確保。
まずは乗務員が列車から出てきて、デカイ声で乗ろうとする連中に一喝。
降りる人が先だ、といって体を張って、乗る人たちを抑え付けます。
降りる人がゾロゾロ、いつまで続くのかと思える頃、
乗務員がゴーを掛けました。
私は、5番手くらいで乗り込みましたね。
ホームが低くて、列車に乗り込むには狭い階段を上らなきゃならない。
となると荷物をたくさん抱えた人の後ろでは埒が明かない。
ということで、その辺はうまく、前に割り込み、乗り込みました。
そしてスグ席を確保。彼女の席も確保。
私のスグ後ろにいた彼女は、相当遅れて入ってきました。
まあ、しゃあないですね・・・初めての体験ですから。

列車内は、席は勿論全て埋まっていましたが、満杯ではありませんでした。
通路にまばらに立ってる人がいる、そんな感じですね。

車内の人達は、殆どが荷物を抱えています。
見たところ上海人は少ないようです。
斉斉哈尓行きの列車ですから地方へ帰る人たちが多いのか・・・
春節には、まだ日にちがあります。しかし、早めに帰る人たちなのか・・。

我々が降りる上海南站の1つ手前の松江で
乗り込んできた女性がたまたま運良く、私の席の前に座りました。
彼女、大きなワンちゃんのぬいぐるみを抱えていまして、
いかにも地方出身という感じの純朴な雰囲気。
君は、どこまでと聞きましたら、徐州までだと。
イロイロ聞きましたら・・・
松江でもう3年働いている。上海には今まで行ったことない。
徐州は田舎で1年に1回帰る。14歳から、こうやって出稼ぎをしてる。
北京でも働いていたことがある。今は21歳だ。

逆に彼女に、あなたは、どこの人なのと聞かれました。
日本からだと答えましたら、エエ、ホントなのと言う感じで、
ビックリしたような表情しまして、近くに立ってる彼氏に、
この人達、日本人だって、と伝えていました。
更に、日本で働けば、給料高いのと聞いてきましたので、
給料も高いけど、トマトも1個6元はするよ、
と言いましたらビックラこいていました。

南站に近づき、我々は立って、彼女に再見と言って別れを告げましたら、
コレどうぞと、話梅を手渡されました。
いくら断っても、持って行けという訳です。
何かお返しにと考えましたが、何も持ち合わせていません。
時間があれば住所を聞いて写真を送ると言う手もあったんですが、
もう降りなくてはなりません。
気がとがめながら、また再見といってお別れした次第です。

まあ、何と言いますか、純朴で、泣けてきましたね。
こういった純朴の人達、中国にはワンサカいるんでしょうね。
特に地方には・・・・。


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海寧皮革城。海寧液から4kmほど離れた新しい開発区にあります。駅からタクシーで10元。
液からは15路というバスでも行けます。


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広~~い店内。4階まであります。各フロアーに、こういった長い通路が2本あり、
その両脇に店が並びます。


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数ある店の中の1つです。


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海寧駅近くにある昔からの店。こういった皮革製品だけを扱った建物がいくつかあります。
でも、今は、活気がありませんでした。


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列車がホームに入ってきました。
1時間前から始まりました席取り争いのクライマックスが近づいてきました。
ホームが低いでしょう。コレが良くないのです。列車に乗り込むのに、狭くて急な階段を
上らないといけないので、荷物を抱えてる人は一苦労です。
しかし、上海南駅のホームは高くなっていまして、乗り降りがスムーズです。
いずれ、全てのホームが高くなるでしょう。


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車内の様子です。
席は埋まってますが、満杯ではありません。
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# by inouehir | 2007-01-07 03:02

七宝鎮の食堂

12月21日に七宝鎮に行って来ました。
水郷観光地としては上海の中心部からは一番近いでしょう。
規模としては周庄などよりは小さいですが気軽に行けますので、
上海のお年寄りやら、若者でウィークデイにもかかわらず賑わっていました。

昼飯を食った食堂の様子をお伝えします。
コレが食堂の店先ですね。
許氏羊肉湯となってますから、どうも羊肉スープがが売りのようです。
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ということで羊肉スープ麺を注文しました。
手前の食い物は臭豆腐と言うヤツです。
道端で揚げていたやつを買って、持ち込みました。
ホントに臭いのです。4個で1元ですから、8個買いました。
麺が来るまで、コレをツマミにビールをやりました。
前のおばさんは、ダレ切っていますね・・いや、イイんです、こんな感じで・・。
まだ忙しくないんですから、ダレ切った態勢で客の前に、こんな感じで座っていてもいいのです。
注文は、このおばさんにしたんですが、顎で向こうのレジにいるお姉ちゃんを指し示しました。
彼女に注文せい、ってことなんでしょう。
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こちらが、そのレジのお姉ちゃんですね。
なんか、一生懸命、勉強していました。
こんな食堂は、いつかやめて、もっと上を目指すんだ、ということなんでしょう。
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出てきた羊肉スープ麺です。紅焼羊肉も付いてきました。
コレで10元だったかな・・・なかなか美味かったです。
ビールは三得利(サントリー)で5元だったはずです。


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# by inouehir | 2007-01-04 12:45 | 上海・街の様子

境界があいまい・境界意識のなさ

2年前に安藤忠雄の蘇州紀行がBSで放送されました。
「わが心の旅:蘇州・水が生命(いのち)」と言う番組でした。
その番組で、安藤さんが蘇州の街並み、皆さんの生活風景を見て
感じたことの1つが下記です。

  肉屋、靴屋、果物屋が入り乱れ、川を跨ぐ家があり、
  そば屋は道まではみ出して店を広げている。公との境界が無い。
  売る人、買う人、食べる人、車が通るところ・・・全く境界線が
  ないようで、あるようで・・また、境界線は、どんどん動いてるようでもある。
  混沌の世界だが、ある意味じゃあ理想郷なのかも・・・
  人と人の気持ちの繋がりがないと、こういうのは成り立たないから。

・・・・・・・という訳です。フムフム、なるへそ・・・・。
これは、私も上海の街を歩き回って、いつも感じることなんです。

さて、12月21日に、2階建てバス・911路で七宝鎮へ行った訳なんですが、
その始発バス停までの道のりで見た風景を、まずはご覧ください。
方浜西路の道並みの様子です。

方浜西路の「浜」とは水路のことらしいです、それも東西に走る水路のことですね。私が住む打浦橋地区には打浦路という道があるわけですが、この「浦」も水路のことを言ったようで、こちらは南北に走る水路のことだったらしいです。ということで、この道には、昔は「方浜」という水路があったということなんでしょう。


果物屋は色鮮やかですね。歩道も完全に売り場になっています。プラタナスの手前のリンゴは紅富士となっています。陝西省の産物のようです。毎斤(500g)2.3元ですね。
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こちらの店も凄いですね。歩道は完全に売り場スペース。そして、街路樹の枝は洗濯物を干すのに使われています。手前のぶら下がってます白いものは、干し魚です。この時期に出回る品物です。街路樹を柱として、そこに桟を渡してぶら下げてます。
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これも、よくよく見ますと不思議!!後ろの店は快客と言うコンビニ。そのコンビニの店先の前の歩道は孫とお母さんとお婆ちゃんらしき人達3人が占領している。
テーブルを置き、商品を並べて商売しながら、日向ぼっこをかねて、子守もしている。この3人は、コンビニの関係者なのか、否か・・・・  どうも違うような・・・・この辺の境界意識の無さ・・・・・  不思議だなぁ・・・・。
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こういったことを・・・公徳心のなさと感じるか、いや、それとも違うような、と感じるか。

日本人から見たら、まず全く無秩序の世界そのものです。ですが、見てますと、この混沌雑然の中にも彼らなりの秩序があるんだろうな、などとも思えて来ます。

いや、日本も昔は、そうだったんだ・・・戦後の混乱期は、こんな感じだったんだ・・・大阪の昔の下町は、こんな感じだったんだ・・あるいは江戸時代は、こんなもんだった・・・・・・なのかもしれませんが。

つまり安藤さんの言う・・・・・
  混沌の世界だが、ある意味じゃあ理想郷なのかも・・・
  人と人の気持ちの繋がりがないと、こういうのは成り立たないから。
・・・・と言う見方からしますと、人と人のつながりが強いと境界があいまいになり、境界意識がなくなる・・・
そういうことなのかもしれません。
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# by inouehir | 2006-12-23 06:48 | 上海・街の様子

新新里・06.12.16

我が打浦橋の北に新新里と日暉里という2つの古くからある小区(住空間)がありました。
瑞金ニ路と徐家匯路が交差しますところの北東角にある一帯です。
そこには、1920年代末から30年代にかけて造られた2階建て3階建ての長屋形式の住居がビッシリ並んでいました。
中国国歌・義勇軍行進曲を作詞しました田漢さんも日暉里に住んでいました。そして、彼の創設した新劇集団・南国社もそこにあったそうです。
この2つ小区が、再開発でなくなるという噂が出たのが3年前だったか・・・。2年ほど前から引越しがボツボツはじまり、追って家の解体作業も少しずつ始まり、今年初めには大方、撤去が終わり、2・3ヶ月前にやっと更地になりました。
今は、工事が始まろうとしています。
将来は・・・3年後か・・・地下鉄9号線の打浦橋站も出来るそうです。そして、その上にはオフィスビルやショッピングセンターやマンションなども出来るんでしょう。

この新しくで来る街並みを時間を追ってアップしていきたいと思います。そして、生活感があった頃の新新里の様子や、壊され始めた頃の様子の写真もアップしていきます。

まずは、工事が本格的に始まりました06年12月17日の様子です。

徐家匯路の歩道橋から撮ったものです。左に見える道が瑞金ニ路です。
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次は打浦橋地区の模型です。上海城市規劃展示館のものを撮ったものです。
ピンク色で囲ったところが新新里です。
この模型には、既に将来の姿が表示されています。
このような建物が将来建つんだ、と言うことがわかります。
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次は去年の7月4日の写真です。
徐家匯路沿いに建っていました4階建てのアパートです。
1932年と言う浮き出し文字が確認できます。
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次も同じく7月4日のものです。
当時、新新里はは3分の1ほど壊されていましたが、その壊されてしまったところにも、まだ住んでる人が居ました。
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新新里の中央部には新新街という小道が瑞金ニ路から東へ伸びていました。
行き止まりの道ですが、その道には自由市場などが並び、その頃は、まだまだ元気でした。
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# by inouehir | 2006-12-17 14:32 | 新新里

陝西南路を行く

1ヶ月以上続いた雨模様の天気でウンザリしていたんですが、やっと太陽が顔を出しました。
と言うことで散歩です。我が家の近くから始まる陝西南路です。
この道、旧フランス租界にある道ですからフランス語の名が付いていました。
Avenue de Roi Albert・・・・スゴイ名ですね。
アルベール通り、と言ったところでしょうか。当時の漢字表記は亜爾培路です。発音は「アアールベイ」と言う感じでしょう。
建国西路を越えて右に見えてくるのが有名な石庫門住宅・歩高里です。勿論、これにもCITÉ BOURGOGNEという名が付いています。
久しぶりの太陽ですから、洗濯物がタクサン。
「鑲牙」と言う看板は歯医者なんでしょう。
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陝西南路を更に行きますと紹興路という洒落た道に行き会います。
その手前の風景ですね。
プラタナスの落ち葉は、この時期毎日、落ちてきます。集めても集めても落ちてきます。
道路掃除のおばさん、一休みと言うところです。
このおばさんは、陝西南路のこの辺りが、仕事の範囲なんでしょう。
朝6時には、仕事を始めますね。
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陝西南路を更に北に行きます。永嘉路を超えた右側一帯は今は工事中です。昔は、ここのドッグレース場を利用した花市場が在りました。
その敷地の向こうにある、相当古い高層マンションです。1924年に出来たもののようです。
その前の庭にも、洗濯物が・・・木枯らしがサッと吹きまして、洗濯物が舞い踊っています。
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復興中路を越えて右に見えてくるのが、この陝西邨です。
昔の名は亜爾培公寓です。アルベール・マンションと言うことでしょう。
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南昌路を超えますと、つい最近更地になった一帯が現れます。ここには、今年の6月まで、ニセモノ市場として有名だった襄陽服飾礼品市場がありました。
この横断幕を見ますと龍華寺2465号に移ったようです。
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淮海中路の雑踏を超え、暫く行きますと右側に長楽邨という集合住宅が集まる小区が見えてきます。丁度、花園飯店の西側の一帯ですね。この小区には銀杏の木が、何本かあり、それが印象的だったです。向こうに見えるのが花園飯店ですね。
この長楽邨は、1925年にサッスーン財閥系の開発会社が建設したスペイン風の住宅街区でして、当時の名は凡爾登(ベルダン)花園ということです。
欧米人は、結構、こういうところ好きでした、私が、ココを訪れた日にも、仲介業者に案内されて来た、金髪の女性を見かけました。
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この陝西南路の散歩に関しては、下記に50枚以上の写真とコメントをアップしてありますので、興味ある方はご覧になってください。
「上海・木枯らしチラッと陝西南路」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10112016/
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# by inouehir | 2006-12-16 14:37 | 上海散歩・フランス租界

やっと晴れたぜ!!

f0114530_15464844.jpgこのところズーット雨模様でした。
1ヶ月以上続いたような・・・。
やっと、今日、太陽が本気で顔を出しました。
ということで、淮海中路まで散歩です。
途中、南昌路脇にありますの小区(2・3階建てのアパートが並ぶ住空間)
への通路といいますか、道路は、洗濯物が・・・
ワンサカ、ワンサカ、ワンサカ、ワンサカ・・・
Oh-、Oh- Ye-Yeー
でした。
今年の冬は雨が多い冬なのか・・・
去年は青空の多い冬だったんですが。

これは去年の12月2日の青空です。
どうですか、真っ青でしょう。
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# by inouehir | 2006-12-15 15:49 | 上海・街の様子

茂名南路の聯誼餐室は人気の店

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茂名南路にあります聯誼餐室は人気の店です。上海料理の店です。
7・8人での食事会ですと、いくら飲んでも食っても、一人当たり60元でしょう。
この店での、食事会は、もう何度やったか・・・7・8回だと思います。
この店は、昔の国営企業を引きずっています。
まずは、服務員がオバちゃんだらけ。これは地元の上海人がやってるということです。上海のレストランの服務員は、今は、90%以上、地方からの出稼ぎ者でしょう。地元上海人が服務員をやってるってのは、マクドナルドやケンタッキーや、ピザ・ハットとか言った店くらいです。
この地元の人が服務員というのは、未だに国営企業というものを引きづってるってことでしょう。
でも、勿論、今では、80年代のぶっきらぼうで威張った服務員ではありません。
また、8時にはラストオーダーで、8時半には片付け始めます。この辺も国営企業ですね。

この店で、11月25日の土曜日に、またまた食事会をしました。
9人で、6時から始めて9時前まで、飲んで食って、515元でした。

この晩集まったのは、皆さん上海にどっぷりと言う方ばかり。
一人だけ、ドップリでない人もいます。でも、その方にしても、上海には何度も来ていて、今回は1ヵ月半のロングステイしようとしてる方です。

その晩集まった方の一部を紹介します。

まずは古代人さん。
銀行を退職後、日本語教師をされてる方で、中国では鎮江、上海、厦門、上海と各地で日本語を教えていました。現在は、また上海に戻り、教師をしながら学校の経営にも参画されています。
古代人さんHPは
http://www.kodaijin.sakura.ne.jp/

次はY岡さん。
85年から上海に出入りしていまして最初の奥さんが上海人。当初は中国関連の商社に勤めていましたが、その後、繊維関係、日本酒製造関係、中国語教育関係・・・・すべて上海絡みです。上海では、上海MLなるメーリングリストは立ち上げた方です。腰の低い方ですが・・・でも、カーッと来やすいところもあるのかな、と言う感じの方です。

次はブーザンさん。
この方は、10年以上でしょう。広東、上海と・・・繊維関係専門です。自分でも名古屋で縫製工場をやっていた方ですから迫力あります。中国語も、自分で勉強して、中国人と南京問題や靖国問題をガンガンやり合ってしまうタイプ。こういうかただから、アッチャコチャでぶつかり合いをしたり、事件にであったり、と言う方です。私が最初に会ったのは6年前だったか・・・その後も何度も会っています。
彼のHPは
「中国ひとりぼっち」
http://www.geocities.jp/ieiri7/
「上海の街角から」
http://blogs.yahoo.co.jp/ieiri7
このブログの写真は綺麗ですよ。彼は、写真は玄人はだしです。

もう1人は鉄人52号さん。
20歳離れた上海女性と結婚して、上海と東京で半々の生活をされてる方です。
彼のHPは
「国際結婚in上海」
http://pro.tok2.com/~shanghai52/
この中の「涙のマンション内装格闘記」や「中国倹約旅行記」などが面白いです。
この方には上海では3・4度会っていまして、日本でバッタリ会ったことがあるんです。これは、もう奇遇としか言いようがないですね。

最後に、この日のレシートに明細が載ってましたので、それを列記します。

白鶏             14元
肴肉             18元
糖醋黄瓜           8元
蟹粉豆腐          45元
松鼠鱸魚          35元
脆皮八宝鴨        88元
東坡肉    4碗     36元
珊瑚西蘭花        15元
青椒土豆絲        12元
火腿蘿卜絲餅 7個   14元
蝦仁二面黄        12元
三得利生ロ卑 13本  130元
大瓶可楽          8元
古越龍山    3本   75元
清茶             5元
叫単!!!         0元
合計            515元

最後の叫単が、なんだか分かりませんが、0元だからイイでしょう。

白鶏は蒸し鶏です。
肴肉は豚肉の小片を塩漬けにし煮こごりで固めたものです。
蟹粉豆腐この店の一番人気。
松鼠鱸魚はスズキの丸から揚げ、甘酢餡掛けです。
松鼠とはどういう意味なんでしょうか、
私は松ぼっくりなのかと思っています。
なぜなら松ぼっくりのの様に切れ目を入れて揚げてあるからです。
脆皮八宝鴨は皮がカラッと揚がった鴨1羽の中に味付けもち米が入ってる料理。おいしかったですね。その晩の最高価格料理です。
珊瑚西蘭花はブロッコリーを綺麗に半球形に整えて、
そこに、蟹肉(が入っていたような)入りのトロミが掛かってるもの。
蘿卜絲餅は大根の糸きり入りのパイです。
蝦仁二面黄は麺を両面油で焼き、それに蝦入りの餡が掛かってるものです。

酒類はビールが13本、紹興酒が3本です。コレだけ飲んで食って、515元・・・安い!!

聯誼餐室の関しては下記に、もっと詳しく書いています。
「上海・茂名南路の聯誼餐室は人気の店」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10054037/
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# by inouehir | 2006-11-28 04:59 | 上海食事会

上海南站


f0114530_13155712.jpg上海南站は昔から杭州や紹興や寧波への上海からの玄関といった駅でした。でも、なんか寂れていましてパッとしない田舎の駅という感じでした。
その上海南站を、上海南部の一大ターミナルにしようと言う構想が前からあったんでしょう。その構想の下の工事は3・4年掛かったのか、それがやっと終わり、新規開業したのが今年の夏前だったような。開業してスグは、まだ混乱があったり、いろいろなものが、まだ柔軟的な体制だろうと思いまして、探索は控えていました。半年たてば、もうそろそろ落ち着いたはずだと見て、11月中旬の17日に探索に行って来ました。
これは上海南站の北広場からの眺めです。上海南站は巨大な円形のガラス張りの建物です。
北広場の公園は、緑も多く、ゆったりとして、中国の駅周辺の喧騒というものが全く感じられません。

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これは上海南駅ターミナルビルの内部です。正に巨大なガラス張りの円形建物ですね。夏場は陽がまともに射して、相当暑くなってしまうような・・・とにかく空調費は膨大になものになりそう・・・・




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南広場には市内路線バスのターミナルがあります。これは浦東空港からノンストップでココまで来る机場7線です。コレは便利ですね。浦東空港から直接、江蘇省とか浙江省の小都市への移動が簡単に出来ます、この上海南站まで来られるんですから・・・。その他、144路バス、867路バス、973路バスがココで利用できます。

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このバスターミナルからは・・・
【 江蘇省】:蘇州・南京・無錫・南通・揚州・海門・鎮江・昆山・豊利・泰州・桃港・常州・海安・宿迂・姜堰・興化・大豊・睢寧・濱海・合塔・儀征・啓東大豊郷・金沙(通州)・樊川(江都)・洋河・如東
【浙江省】:杭州・寧波・象山・諸曁・北侖・奉化・竜港・桐郷・江山・永嘉・余姚・紹江・嵊州・蕭山・海寧・臨安・淞浦・寧海・石浦・金華・蒓湖・嘉興
【安徽省】:肥西・屯渓・水陽・天堂寨
【江西省】:楽安・瑞金・横峰
・・・・などの都市へ行くバスが出ています。

この上海南站の詳しい様子は下記をご覧ください。
「上海南站探索(その1)ターミナルビル&北広場」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10105712/
「上海南站探索(その2)長距離バスターミナル&南広場」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10105901/
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# by inouehir | 2006-11-18 13:40 | 上海交通案内

我が家から地下鉄駅へ

上海南站を探索に行ってきました。
もとから上海南站はあるんですが、3・4年掛けて大工事の末、大きく様変わりをしました。
上海南站は上海から杭州とか紹興とか寧波へ行くための玄関口です。ここからは火車(日本で言うところの汽車、列車)も出ていますし、大規模な長距離バスターミナルもあります。
この辺に関しましては下記にアップしますので、ご覧ください。
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上海南站までは地下鉄1号線で行こうと思い、我が家から歩いて、地下鉄1号線の陝西南路まで行きました。

まずは、私が住む地域【打浦橋】をアップします。
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これが我が打浦橋です。
歩道橋の下を走る道路は徐家匯路です。昔は、ここに水路が走り、それを肇嘉浜と言いました。この「浜」は日本の「浜」の字とは意味も違いますし、元字も違うのです。この「浜」は、上海では東西を走る水路の意味です。
この水路に、昔橋があったんでしょう・・・それが打浦橋と言うことなんでしょう。
と言うわけで、この道路の延長上には「橋」の付く地名が多いんです。大木橋とか小木橋とか楓林橋とか・・・・
この水路を境に北側(手前側ですね)が旧フランス租界でした。そして向こうの南側地区が、川向こうのドヤ街だったそうです。90年代に再開発に入るまでは、上海で一番臭いところ、と言われたそうです。
私が、住むところが、正面に見えますマンション群のもう1つ南にあるマンション群です。開発会社も管理会社も一緒で、形状もおんなじなんです。
向こうの道路に面した並びには、ケンタッキーもマクドナルドもピザ・ハットもあります。また、今年9月末には、サイゼリヤや味千ラーメンも開店しました。

さて、では打浦橋から北へ伸びる瑞金ニ路を北へ行きますが。その東側に広がる地域がコレです。
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新新里と言いました。1920年代30年代に出来た民家がビッシリ並んでいた地域です。
中国国歌の義勇軍行進曲を作詞しました田漢さんも住んでいました。
2年位前から立ち退きが始まり、今年の夏前には綺麗に全てなくなりました。
いずれは、オフィスビルやらマンションやらショッピングセンターが出来るんでしょう。また地下鉄9号線の打浦路站も出来るようです。
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この道が瑞金ニ路ですね。ここはもう旧フランス租界地域と言うことです。
この道、旧フランス租界時代の呼び名はRoute Pere Robertだったそうです。
この街路樹が立派でしょう。上海の街に多く見られるプラタナスです。こちらでは法国梧桐(フランスあおぎり)と呼んでいます。この辺り、夏場は緑のトンネルとなります。
向こうに見えますのが瑞金賓館です。昔の大金持ちのお屋敷と庭園からなるホテルです。

瑞金ニ路から復興中路を左に行き、茂名南路に入り北へ行きます。茂名南路と南昌路との交差点の北東角にあるのが、この建物です。
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現在の名は南昌大楼です。昔の名はアストリッド・マンションです。1933年完成です。
V字型をしてる建物です。正面てっ辺の装飾が印象的です。
さて、ここからは、地下鉄1号線・陝西南路站は、目の前と言ってもいいです。我が家から歩いて30分の散歩でした。
ちなみに、茂名南路の昔の呼び名は、Route Mercier、南昌路はRoute Vallonです。

緑のトンネル状態の瑞金ニ路や、この付近の街並みは下記に詳しくアップしてあります。
「上海・真夏の午後の散歩・瑞金二路を淮海中路まで(後編)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10027697/
「上海・真夏の午後の散歩・瑞金二路を淮海中路まで(前編)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10027652/
「上海・台風一過、並木道の緑はキラキラ」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10030516/
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# by inouehir | 2006-11-16 08:01 | 上海散歩・フランス租界